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落書きと思考の外在化

余分なもののないエディターで、ただ文字を打っていけばそれだけでいい。
テーマとか内容とかは実は関係なく、テキストが気持よく表示されるテーマにただただ文字が表示されれば、それだけで満足しているのかもしれない。
真新しいノートに落書きをしていく快感と同じ。
落書きと違うのは、あとから読んでも理解できるように構成しようという良心が働くこと。
ただそれにしたって、せめて体裁を整えることくらいで、その時に浮かんでいる揮発性の何かを全て捉えておくことは出来ない。
いや、捉えることが出来たとしても、読む方の気持ちが変わっていれば、それをそのまま受け取ることは出来ないけれど。
しかしそうであっても、浮かんだモヤモヤを文字というカタチに残すことで自分のどこかがスッキリとするのは間違いない。

カッコよく言えば、思考の外在化。
正確に言えば、モヤモヤの廃棄処理。

感情について言えば、整理できることもある。
あるいは、より深みにハマることもある。
ただ、書き出すことによってココロのどこかは解放される。
たとえ後から、この思考をたどっても、感受を重ねても、なにも出口が見つからないとしても、それでも救いにはなっているのだろう。
どこかにたどり着きたいという移動手段としてではなく、ただこの現在立っている場所、これさえ確認できればいい。
Googleのストリートビューカーがどれだけ走り回っても、この座標軸だけは、自らコツコツ打ち込むしかないのだから。

Filed under: 独白

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「タフでクールで そしてヒューマンタッチ」Reblogger in Tokyo

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