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湯島天満宮 祟り神と天神様 たとえ絵馬何万枚あろうとも

受験生の子を持つ親の務めかどうかは知らねども、やれることは祈るくらしかない。
というワケで、湯島天満宮 に参拝。

時期も時期。
きっと血走った目の受験生の大群でごった返している違いない。
と気合をいれて向かったものの、その気合は空回り。
受験生は、ポツリポツリと数える程しか見えなかった。
しかも、血走った目の殺気などどこにも感じられず、穏やかに友達と談笑している余裕を持った子達にしか出逢わなかった。
今ここに来れる子達は、受験というパックツアーのオプショナルツアーも楽しめるほどの余裕もあるような子達ばかり。
なあるほど、追いつめられた者達は、神頼みすらしている余裕もないらしい。
ならば、僕のような代打で来ている親の数は多いだろう。
とあたりをキョロキョロしてみたものの、こちらもあんまり多くない。
結局一番多かったのは、老人のハイキングサークルのような集まり。
なんとなくのランドマークに歩いて集まり、ボランティアを言い訳に全くの不勉強の同年齢くらいの老人ガイドが、推測と誇張を繰り返していた。
少しばかり、聞き耳を立ててみたが、ググる以上の情報は聞けそうにもなかった。

菅原道真公 と言えば、学問の神様として名高い。
それこそ、僕の受験の時にもお世話になった。
九州出身の僕は、太宰府天満宮にお参りに。
真冬に食べる焼きたての梅ケ枝餅は美味しかったなぁ。。。
そんなわけで、我が日本国では受験といえば菅原道真公!
天神様どうかよろしくお願いします!
ということになっている。
しかしそもそも、なぜ菅原道真公が学問の神として祀られているのかその由来を知らなかった僕は、今回調べてみることにした。

そして、ちょっぴりせつなくなった。

そもそも菅原道真公は「平安朝きっての秀才」
大変に優れた学者・詩人であったらしい。
当然、時の政府でも重用され、バリバリ成果をあげてバリバリ出世していたようだ。
そして優秀な人間の宿命として改革を旗手を任される。
しかし、これが理由で天神様と祀られるようになったわけではない。

その理由は、彼の死後に生まれる。
急激に進む中央集権化と、それに反発する勢力、さらに朝廷内部の対立。
そうしたもの達のわかりやすいスケープゴートとなってしまった彼は、ハメられ、飛ばされてしまったのだ。
海向こうの九州に。
子供4人も流刑となり、彼は失意のまま、京より遥か彼方の太宰府の地で命を落とした。
彼の死後、京では異変が相次ぎ、不幸と大災害が止まなかった。
朝廷は、これを道真公の祟りと認定し、罪を許し、子供達の流刑も解いた。
さらに道真公の怒りを鎮めるために、天神様としても祀るようになった。
だから彼は、平安朝きっての秀才として尊敬の対象として祀られたわけではない。
恨みを抱えたまま現世を祟る雷神として、恐れられ、鎮められるために祟り封じとして祀られたのだ。
そして、想像できることはひとつある。
彼の死後、都の異変が彼の祟りとすぐに噂されたということは、その裏切られ方はよほど酷いものであったに違いないということだ。

しかし、そんな荒ぶる天神様も次第に大災害の記憶が風化していくことで、そもそもの天神様を祀る理由が希薄となった。
そして、もともと優れた学者・詩人であったことから、学問の神として信仰の対象となっていった。
それは、彼の怒りがおさまったという事ではないのだろう。
怒りに任せて現世を祟った彼の罪が赦されたということなのだろう。
そうして、醜く荒ぶる祟り神から、ご本人もそうでありたかったように学問の神として尊敬を集めるというご褒美を手にいれた。
それこそが、本来の彼の姿に違いないだろうが。
湯島天満宮には道真公と縁が深いと言われる牛が、どっかりと居座っている。
都落ちする時に牛車を引いた牛であるとか、刺客から命を守ったとか、その由来ははっきりとはしない。
しかしその満面の笑みを見ると、丑の日生まれの道真公の現在の気持ちを物語っているようではある。
牛

「鎮まりください、天神様!」
と恐れられるより
「絶対合格させてください!」
という青い願いのほうが叶えがいもあるだろう。
たとえそれが絵馬何万枚あろうとも、ココロは遥かに軽いはずだ。
もっともこれだけ多くの人が慕って集まる場所に、荒ぶる祟り神の姿はもう何処にも見えないが。。。

湯島天満宮2

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