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平成元年のAVIREX B-3 ボマージャケット

寒さが本気を出して、我が物顔で歩き始めるようにならないと、「コレ」の存在は忘れられたまんま。
唯一話題に上がるのは、やたらと場所をとる作りにそろそろ廃棄にしたらどうかと槍玉にあがるときだけだ。
その、ハイテクとは一切無縁の力づくの防寒着は、やたらとかさばるのだ。
牛革の裏側にガッツリとムートンをあてがって、着て歩ける毛布といっても過言ではない。

AVIREX B3_1

「ボマージャケット」の名の通り、もともとは第二次大戦中の爆撃機乗りに支給されたものだ。
技術の進展により、高高度からの爆撃が可能になったが、肝心の人間はその寒さに耐えることが出来なかった。
そのための戦闘服の一環だ。

昭和の終わりの頃に「トップガン 」という映画のおかげで、フライトジャケットが大流行。
学生だった僕は「 MA-1 」は手に入れられたが、この「B-3 」には手が出なかった。
だから手に入れることが出来たのは、社会人になって最初の冬のボーナスが出たころ。
なんと遡ること平成元年。
来年が平成25年ということは、かれこれ四半世紀、お世話になっている計算になる。
当然ながら、こんなに長く実用品としてつきあっているものはない。

しかも手に入れた場所がアレなのだ。 アビレックスの直営店などではなく、ジーンズショップでもない。
アパレルとは縁もゆかりもないような店。
モデルガンやエアガン、それにいわゆるガチの放出品がたんまりと売っている、ミリターショップなのだ。
しかし、それだけなら、いい。
お洒落なアパレルに強いミリタリーショップというものは存在する。

しかし、そこは「ミリタリー」とは表現しちゃいけない、ただの「特攻服」を着込んでひげを蓄えた角刈りの店主が経営する店。

ボーナスをもらって浮かれて歩いていると、店先に「ボマージャケット」を発見。
しかもAVIREXの本物だ。
つられて店内に足を踏み入れると、特攻服の店主が無愛想に立っていた。
しかも、そのとき僕は広島に住んでいた。
広島という土地で、この佇まいの店ならば、きっと組織を構成するアレに違いない!
すっかりびびってしまっていたが、当時の僕にはうまいこと立ち去るスキルは身に付いていなかった。
観念して、「ボマージャケット」をつかんでそそくさと買って出ようとすると 「着てみなよ。サイズ見てからのほうがいいよ」 と他の店では当たり前だが、ここではとっても親切な申し入れ。
ジャストのものと、ややゆったりめの2着を試着した。
「にいちゃんは、ガタイいいから、ジャストのほうがかっこいいよ!」 とどこから引っ張りだしたのかわからないが、とっても爽やかなスマイルが店主から飛び出した。

びびっていたのは僕の勝手で、結果から言うととても買い物を気持ちよくさせていただいた。

それ以来、寒くなるたびに守ってもらっている。

守ってもらったのは僕だけではない。
自転車で買物に走る妻の、防寒着にもなった。
今では妻を身長ではるかに抜き去った娘達が、まだこのジャケットにおさまる大きさの頃。
これは、妻から目の届く場所に持ち運ばれ、娘達の「お昼寝用強力防寒カーペット」になったりもしていた。

流行やかっこよさへの憧れで手に入れたものが、家族の歴史のある部分を 占めるようになるなんて全く思いもしなかった。
少なくとも、あの店主の店先では。

あの縁から、かれこれ約25年。
人との縁も不思議だが、モノとの縁も不思議なものだ。

AVIREX B3_3

袖口はすり切れ、ムートンは全盛期よりボリュームがおとなしくなった。
しかし、僕の衰えように比べれば、遥かに原型を維持したままだ。
このペースで行けば、明らかに僕のほうが先に役立たずになってしまいそうだ。

「平成」のその次の元号まで、つきあえるかどうかはわからない。
しかし、それが出来なくなることも僕のほうの理由になりそうだ。
ただもうちょっと、お互い現役で一緒に冬を乗り越えられればいいなあと思う。

こんなことを考えずにいられないのも、25年という時間が口に出すほど軽くはないということに、ようやく気づいたからかも知れないが。


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Filed under: 独白

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「タフでクールで そしてヒューマンタッチ」Reblogger in Tokyo

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