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楽しくはないが没頭するもの

昔から、ついつい読み耽ってしまうものはエッセイとカテゴライズされるものだった。
それは、コラムとも違う、おそらく。
エッセイとコラムの違いを正確には理解していないので、そこを隔てているのは単なるニオイ。
なにか仕込まれたお話を読むよりも、平易に綴られたテキストを読んでいくほうが、白けることなくのめり込むことが出来る。
もちろん、小説とは違ってそうそうドラマチックなことも大どんでん返しも起きないんだけれど、なんかプレーンなニチジョーでの入口も出口も、まして結論や教訓もはっきりしないようなものにひきつけられる。
だから、過剰な演出や語り口のものはエッセイやブログといえども途中で読む気が失せてしまうし、その逆の意味で読み進めていける小説もある。

自分でもそのようなことを書こうと思って筆を握った経験はない。
なにせ日記すらまともにつけたことはなく、このブログを始めてみるまでは、仕事で顧客に書く謝罪文以上の文章を書いた経験はないのだから。
なんとなく始めたブログだけど、おかげでひとつの楽しみを見つけることが出来た。
それは文章を書くということ。
楽しみと表現してしまうと正確ではないかもしれない。
書いて嬉しい!とか楽しい!とかは感じないからだ。
ただ、没頭できる。
なにか書くことを見つけてキーボードを叩き始めると、そこに没頭できる。
アタマとココロはディスプレイに埋没して、他のことは一切考えられなくなる。
普段、新旧合わせた不安事がミルフィーユのように積み重なったココロは解放されて、本来の軽やかさを取り戻すことが出来る。
刹那のこととはいえね。

有名人でも何かのオーソリティーでもないオトコの書く文章は、輝きも深みも持ちあわせておらず、たまたま検索の果てに流れ着いた人には、お生憎様と伝えるのが精一杯。
しかし、こんな僕でも極稀におホメの言葉をいただくことがある。
もちろん、日本人特有の気遣いがベースにあるとはいえ、嬉しい。
しかし、嬉しいが、褒められることがイマイチ腑に落ちない。
なにか伝える明確なメッセージがあって、それが伝わったというのなら、それは立候補したての議員候補みたいにガッツポーズをするだろう。
しかし、そもそもメッセージなど明確なものはなく、論を立てるつもりもない。
そのような文章だからか、「なんかイイね!」とほめられる。
なんとなくの褒め言葉に、それを喜んでいいのかどうかと思っていたら、はたと気づいたことがある。
この「なんかイイね!」は、僕がこれまで読んできたエッセイと呼ばれるもので感じてきたこと。
特別なドラマも教訓も含まない文章達に感じた、うまくは説明できない感覚なのかもしれない。
このセカイで僅か数人とはいえ、僕がそのような感覚を与えられたのだったら、それは喜んでいいのかもしれない。
それは受け取ったナニカを、正しくバトンとして受け渡しているという意味で。

特に趣味もなかったけれど、この先もへたへたとテキストを打ち続けられるといいなぁと思う。
何しろ自分が没頭できて、その結果わずかとはいえ喜んでくれるヒトもいる。
セカイが僕の存在を許す理由とまでは言えないが、僕がこのセカイの隅っこに膝を抱えて座っているくらいは目をつぶっていてくれるかもしれない。
そうであるならば、僕も心安くこの駄文を書き続けることが出来る。
本当は書くことで生活できればいいんだろうけど、ブログにすらヒトが集まらないような状況ではそれは難しいだろう。
だから、書くことに没頭できるような環境があることを望む。
単発的なアクシデントはネタになる。
しかし、長く強い不幸は、だんだんと没頭するココロまで奪ってしまう。
メデューサに出会ったようにココロが乾いた石っころに変えられてしまったら、そこからは一滴たりとも言葉は搾り取れないだろう。
だから、長く強い不幸には、このあたりで長いお別れを告げて、ラグジュアリーでなくて構わないからフラットな生活に「はじめまして」の挨拶をしたいところではあるのだけれど…

Filed under: 独白

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「タフでクールで そしてヒューマンタッチ」Reblogger in Tokyo

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